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名古屋 刀剣博物館にて期間限定 販売!

  • 執筆者の写真: 伝統屋 暁
    伝統屋 暁
  • 3月22日
  • 読了時間: 3分

どうも、伝統技術を愛してやまない伝統屋 暁のスタッフです!


今回は委託販売のお知らせです。


3月22日(土)より、名古屋刀剣博物館にて玉鋼アクセサリーを委託販売しています。

この期間の展示は「特別展 天下三名槍」。


展示期間は2025年3月22日(土)~6月1日(日)までです。





天下に名高い3本の槍、「日本号」「御手杵」「蜻蛉切」の写しを展示されています。


これらの槍の写しは、同じ刀工によって制作され、

一堂に会して展示されるのは名古屋刀剣博物館のみです。


それぞれの槍にゆかりのある刀剣や甲冑なども展示されます。



<天下三名槍とは>

「天下三名槍」とは、天下に名高く美しい3本の「槍」のことです。

江戸時代中に「西の日本号、東の御手杵」と並び称され、いつしかそれに蜻蛉切が入って明治時代から天下三名槍と呼ばれるようになりました。


【日本号(にほんごう/ひのもとごう)】

平三角の大身槍(おおみやり)です。

全長(総長)は10尺6分余(約321.5cm)、穂の長さ(刃長)だけでも2尺6寸1分5厘(約79.2cm)あります。

槍本体の重量は912.7g、柄(つか)などの拵(こしらえ)も含めた総重量は2.8kgです。


御物であった日本号は、室町幕府15代将軍「足利義昭」(あしかがよしあき)に下賜され、さらに、戦国時代を代表する名将達の手に渡り、実戦でも用いられてきました。


日本号は、その出来映えのすばらしさから、槍でありながら正三位の位を授けられたという伝承があり、「槍に三位の位あり」と称賛されました。


皇室が所有していた日本号ですが、「正親町天皇」(おおぎまちてんのう)の時代に、室町幕府最後の将軍となった足利義昭へ下賜。


その後、「織田信長」の手を経て「豊臣秀吉」に受け継がれました。

日本号という名はこの豊臣秀吉が付けたと言われています。



【御手杵(おてぎね)】

「御手杵」は、穂の長さ(刃長)4尺6寸(約139cm)を誇る大身槍で、

鞘の形が餅つきする「手杵」に似ているとが名前の由来です。


室町時代の槍で、作刀者は4代 義助とされています。

「義助」は「嶋田派」と呼ばれる刀工一派で、室町時代中期から江戸時代中期まで代を重ねています。

なかでも4代は槍の作刀において広く知られた名工です。


この義助に御手杵を作らせたとされるのが、下総国「結城城」の城主である戦国大名の結城晴朝。

「徳川家康」の次男・結城秀康の義父としても有名な人物であり、御手杵も結城秀康へ受け継がれましたが、この継承により御手杵は松平氏(松平大和守家)へ移ることになったのです。


江戸時代末期には、徳川11代将軍「徳川家斉」の二十四男で松平大和守家の養嗣子となった「松平斉省」(まつだいらなりさだ)が御手杵を所有。


残念ながら、太平洋戦争中の東京大空襲で焼失し、現存していません。



【蜻蛉切(とんぼきり)】

徳川家に仕えた戦国武将、「本多[平八郎]忠勝」が愛用したことで知られる槍。

刃長43.7cm、笹穂型の大身槍です。


蜻蛉切は、徳川家康の側近の中でも、多くの功績を立てたことで知られる「徳川四天王」のひとり、本多忠勝の愛槍です。


本多忠勝が愛用したことで有名で、その切れ味は、飛んできた蜻蛉が触れただけで真っ二つになったという伝説が残るほどです。


蜻蛉切を鍛えたのは、「三河文殊」(みかわもんじゅ)派の刀工、「藤原正真」(ふじわらまさざね)。

三河文殊派とは、三河に居を移し日本刀を制作したもと村正派の呼称です。


切れ味の良さを誇る「村正」の系譜であることからも、蜻蛉切の切れ味の良さが伺えます。



引用:刀剣ワールド


6月1日(日)までの期間中、

ミュージアムショップにて玉鋼アクセサリーを委託販売しています。


刀剣をご覧になった後は、ぜひミュージアムショップにお立ち寄りください。



「特別展 天下三名槍」詳細は下記よりご覧いただけます。



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伝統屋 暁で取り扱っている作品は全て本物の技術を詰め込んでいます。


和風アクセサリーが大好きなあなたにも満足いただける作品が揃っています。


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