どうも、伝統技術を愛してやまない伝統屋暁のスタッフです!
1日についに代表が東海道を徒歩で旅する挑戦 #東海道でしょう がスタートしました!!
そのため、9月にご注文いただく商品につきましては発送が遅れると思います。 申し訳ございません。
これも伝統屋さんらしいなと、思っていただけると嬉しいです。
旅の様子はこちらのYouTubeでご覧いただけます!
YouTube【火縄銃男子・武士の生活】 https://www.youtube.com/channel/UCWi-kFNlC-8BO5bzmDV9kkA
さて、前回越前和紙についてお伝えしましたが、 よく考えると、伝統屋で扱っているもので
玉鋼以外の由来などをあまり書いてこなかったので、 今回は「真田紐」についてお伝えしようと思います。
【名前の由来】 「真田紐」名前の由来は実は一つではありません。 1つは真田幸村の父、真田昌幸が刀や甲冑(かっちゅう)に巻いて使い、
功績を上げたことから、 他の武将が真似をして「真田が使っている紐」ということで名付けられたという説。 関ケ原の戦いで敗れた真田家は高野山に幽閉され、 家来達が内職として紐を織っていたと言われています。 他には、狭の機 (さのはた) と言う細い織り紐の呼び方が、 転じて「さなだ」となり漢字で「真田紐」となったという説などがあります。
【歴史】 起源は謎に包まれているようですが、 一説はチベットの民族が織っていた細幅の織物が 仏教とともに日本に入ってきたとも言われています。 沖縄では「ミンサー織り」八重山諸島では「八重山織り」に そして本州では「真田紐」になっていったとか。
他には関ヶ原の戦いで敗れて謹慎(きんしん)していた 真田昌幸・信繁父子が作製し、真田父子の発明という話が生み出され、 後の「真田紐」になっていったなどの説もあります。
元々は伸びにくく丈夫なことから荷物を縛ったりするために使われていました。 一般庶民の生活用具だったんです。
平安・鎌倉時代の甲冑(かっちゅう)は飾りも多く派手でしたが、 戦国時代になって動きやすく実践的になり、真田紐も使われました。
また、千利休も茶道具の入った桐箱を真田紐で結んでいたそうです。 それから家紋のように独自の柄を用いるようになり、 自身の所持品や作品であることを証明する「約束紐」という文化として 現在もその風習は残っていて、流派により柄以外にも結び方などに
決まりがあるそうです。 武士、庶民、茶人と幅広い人たちに愛され、使われきたんですね。 真田紐は見た目にもとても美しいんです。
今でも「真田紐師」という方がいらっしゃっいます。 「伝統的な芸銃性ある実用品」とでもいったところでしょうか?
【特徴】 組紐と間違われやすいのですが、 真田紐は「織物。最も幅の細い織物」で、
組紐は3本以上の糸や糸の束を「組み上げた紐」です。 見た目も真田紐は縦横の織りになっていて、組紐は斜めに糸が走っています。
そのため、組紐は伸縮性があり、真田紐にはほとんど伸縮性がなく、丈夫です。
今のようにいろいろな紐がなかった時代、重いものを吊るしたり、 甲冑や馬具を固定するのにも使われていました。 明治時代にはかなり生活の中でも使われていたようですが その後廃刀令で刀を持てなくなったり、
いろいろな紐が作られたりして需要が減少していきました。
今では真田紐を作っておられるのは国内に数ヵ所です。
でも、このように素晴らしい伝統と技術はぜひ受け継いていきたいものです!
伝統屋では今はまだ2つしか商品がございませんが、 何かご希望がございましたら、オーダーメイドも出来る限り対応させていただきます! こちらが真田紐でオーダーしていただいたネックレスです。
チャーム部分は玉鋼です。
真田紐の商品はこちら↓
ピアス・イヤリング 他の色もございます。
こちらはブローチです
これからも何か「和」に関わることを書いていきますね。 何かリクエストあればぜひお聞かせください。 また、伝統屋のホームページからお買い上げいただく時にメルマガ登録をしていただくと、 時々お得なクーポン券をお送りします! ぜひご登録ください。 *♪¸¸.•*¨・:*ೄ·♫•*¨*•.¸¸♪✧*♪¸¸.•*¨・:*ೄ·*♪¸¸.•*¨・:*ೄ·♫•*¨*•.¸¸♪✧*♪¸¸.•*¨・:*ೄ· 伝統屋で取り扱っている作品は全て本物の技術を詰め込んでいます。 和風アクセサリーが大好きなあなたにも満足いただける作品が揃っています。
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